すみだ北斎美術館「歌舞音曲鑑」に行ってきました
(※本内容には個人的見解が含まれます。あらかじめご了承ください)
富嶽三十六景で有名な葛飾北斎。その富嶽三十六景が発表される50年前、当時19歳で勝川春章に師事し絵師としての活動を始めたときからの展示となります。
歌舞伎になぞらえて、「◯幕目第◯場」という区切りで展開されていくのですが、まずは一幕目第一場。「江戸の芝居町について」という内容からスタートです。
歌舞伎発祥の地の説明、当時はたくさんの芝居小屋があったとのことですが、幕府の取り締まりや火災などで増えたり減ったりを繰り返していたとのことです。当時でいう堺町/葺屋町/木挽町….今で言う人形町/堀留町/東銀座のエリアに江戸三座(中村座・市村座・守田座)と呼ばれる芝居小屋があったそうで…歌舞伎座に行ったことがある方なら、比較的聞き馴染みのある地名じゃないでしょうか?
当時の中村座の舞台の様子がありましたが、役者の名前が書かれた紋看板ずらっと並んでおり、角切銀杏(すみきりいちょう)の櫓(やぐら)がありました。
※ 櫓=幕府から興行の許可を得ている印
当時の歌舞伎舞台にもしっかり花道があり、舞台向かって上手下手それぞれに桟敷席も見受けられました。席は「土間席」と呼ばれるます状の席で4-6名が座れたようです。
個人的には「贔屓役者の紋が入った手拭いをかぶっている人の様子」が印象的で、今で言う「推し活」のようなものが当時もあったのかなと嬉しくなりました。
今も歌舞伎が続いているのは当時の人の熱い思いがあったからなんだなと考えさせられました。
↑今の歌舞伎座がある東銀座の交差点から南に少し歩いたところにある「森田座跡」。この美術館での展示を見て感化されて足を運んでみました。
一幕目第二場は「役者絵」のコーナーで、歌舞伎の演目と役者の名前が並んでおり、いまでいう舞台写真のような感覚で見ることができました。
二幕目は披露会摺物の世界と題して、当時のお披露目会の案内状(今で言うお浚い会のチラシ)が展示されておりました。
今でもお浚い会のチラシやパンフレットをみると「番組」とタイトルが書いた後に曲目が並んで書いてあることが多いのですが、1800年入った頃の摺物にはすでに「番組」という表記がなされており、200年以上もその表記が受け継がれていることがわかります。
また絵の中に文字を仕込ませるっていう表現方法があったようで作り手の遊び心も感じられる楽しい摺物になっておりました。
絵が同じで曲目は違う2種類の摺物が展示されており、今で言う文字を差し替えるだけで使えるテンプレートのようなものがあったのでしょうか….
摺物は思ったよりも大きく6つに折って20cm四方になるくらいのサイズ感でした。文字サイズもすごく大きい印象でした。
↑今回の展示のパンフレットは6つ折20cm四方の形をしております。(即買いでした笑)
柔和の会の催しでもいつかこういった形のクリエイティブを作ってみたいものです。
さて、二幕目第二場では、浄瑠璃のことについて説明されており、義太夫節/常磐津節/富本節/清元節などが登場します。三幕目では踊り方の本がたくさん展示されており、当時の絵師というのはハウツー本まで作っていたのかと技術の幅広さを感じました。また、今よりももっと「踊り」というものにすごく関心がある時代だったのかなと考えさせられる展示の内容でした。
歌舞伎をとりまく時代の背景や音楽の発展について楽しく見ることができ、普段歌舞伎や演奏会に行く人にとってはすごく身近に感じられる展示かなと思います。
柔和の会ではこれを機に伝統芸能・文化にまつわる美術館情報も発信できたらと思います!
https://hokusai-museum.jp/modules/Exhibition/exhibitions/view/3728
歌舞音曲鑑 北斎と楽しむ江戸の芸能
2024年3月19日(火) 〜 2024年5月26日(日)
開館時間
9:30~17:30(入館は17:00まで)
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